2011年12月20日火曜日

《番外編》検査入院

今日は凌さんをワイフのママに託して都内の病院へ。
1月末に控えたワイフの手術のための検査入院です。

今日行われる検査は「血管造影検査」。



足の付け根からカテーテルを脳まで通し、動脈や血液自体の異常、腫瘍の位置や大きさを診断するもの。
ただしこの検査にはリスクがあって、100~1000人に一人の割合で脳梗塞が起きてしまうとか。

今までの病院では無かった検査なので、受ける事には少なからず抵抗を感じていましたが、
日本一のドクターが手術を成功させるために必要だというのであればと、質疑応答を交わした後合意した検査です。


とはいえ不安がまったくないわけは無いのですけれども。

家から楽しみに持ってきて、さぁ飲もうと思った瞬間に
「飲み物禁止」を言い渡されて全身脱力するワイフの図


がしかし、そんな僕らに今日は心強い先輩が現れました。
それはわずか12日前に脳腫瘍摘出手術を受けたばかりのMさんとの面談!

Mさんもやはりカテーテルの検査は受けていて、その結果頭の血の流れの左右差がわかったそうです。
そして、手術の時にはその情報を持って、より注意深く治療にあたることができたとか。
これから行うCTも聴力検査もMRIもすべては執刀する主治医の先生が、そしてワイフが、万全の状態で、体制で手術に向かう為の準備なんだと改めて実感したわけであります。

Mさんの話はすごく貴重な生の声でした。
日常生活の耳鳴りや掃除機の音で混乱していた様子とか、ワイフには聞いていましたが、やはりこれは聴神経腫瘍の方にしかわからない辛さと症状。

そして手術後。
前庭神経切断後の、何か後ろから強く引っ張られる感覚。
周りからは普通に見えても、じつは右半身パンパンになるほど踏ん張っていることとか。
また術後3~4日は地獄だそうです。
今のMさんの様子からはまったく想像できませんが、それはそれは地獄だそうです。

差し込む日光、ポカポカの陽気と見晴らしの良さ。
思わず外に出たそうに窓によじ登ろうとしてしまうワイフの図



こんな情報も無いまま手術を終え、この魔の3日間を迎えていたら、どうなっていたんだろうとぞっとします。
でもこうして3~4日が地獄のように辛いと予め教えてもらえたのはものすごく大きい!
本人にとっては辛い症状も、「終わりがある」と思えるのと、「永遠に続くのでは?」と不安になってしまうのとでは、天と地ほど精神状態に差があるでしょうから。

また、聴神経腫瘍の患者さんは、聴力やバランス感覚を一時的に、または永久的に失う事が多いので、
「この先電車に乗れるだろうか?」「人ごみの中を歩けるのだろうか?」などなど多くの不安に包まれることが多いと聞きます。
実際にワイフもそうでしたから。

がMさんはスゴイ。
歩けるとか走れるとかそういう次元を通り越して、「来月無理してでもスノボ行きたい」って…。
聴力を失い、前庭神経を切っているのにですよ?
もうそのエネルギーにはただただ感服です。

その他にもとってもタメになり、また元気付けられる話をたくさん聞けました。
物凄く感謝。ワイフもきっと良い情報が得られたと思います。
ありがとうございます!


窓際だけでなく、廊下側のベッドにも必ず日が差し込む窓が設置。
この大部屋、素晴らしい設計だぞ。


世の中には様々な病気があり、様々な治療法があります。
そして残念ながら、どの治療法にも100%というものはありません。
少なからずリスクがあります。

狭い環境における偏った情報に頼り、あるひとつの治療法の失敗例やリスクばかりを説き、それ以外のリスクを考えられない人もいます。
しかしどんなに安全と言われる手術でもリスクは必ずあるし、
だからこそ最終的には患者本人が悔いのない選択をすることが大事なのです。

治療方法を選択する、決断する過程には様々な情報収集が必要です。
サイコロで決めるなんてことはできません。
できるかぎり多方面から情報を集め、客観的に、そして主観的に、信頼できる専門家の意見も聞きながら総合的判断をします。
そして患者本人が数ある治療方法の中から、自分の命を守るための、ポジティブに将来を考えられる治療方法を決断したのであれば、仮にそれまで反対していたとしても、患者本人が決めた道をしっかりサポートし、さらにはその道が上手く行くように最善の努力をするのが家族です。

サポートは何もお見舞いや留守番だけではありません。
患者本人が余計な心配をせず、治療に専念できる環境を作ることもとても支えになります。



特にうちの場合は産まれて2ヶ月強の凌さん(手術時には4ヵ月くらい)が居ますから、凌さんをしっかり面倒見られない状態だと、ワイフに大変な心配をかけてしまいます。
大袈裟にいえば、ワイフの命と凌さんの命の問題。
留守の間、しっかり凌さんを育て、元気に退院してきたときに笑顔で対面できるようにしておくことも、留守番する僕らの大事な役目だと思っています。


残念ながらうちの周りでも、患者本人の決断を支持できない人はいます。
でも立場が違ったらどうなんだろう?と純粋に思います。

仮に自分の直接的な家族が、命を守るために、自分の望まない治療法を最終的に決断した時、それでも「私はもう関わらない」と言えるのでしょうか?
そんな人はパートナーだとは思わないし、もしそう言わないのであれば、単にうちが他人と言うことでしょう。
仮にその治療法の可能性が高くないとしても、いや、実際は低ければ低いほど家族が協力して、その可能性を高くしていくべきだと思うのです。
同じベクトルを向く、問題を共有するとはそういう事です。

例え世界中のほとんどの人が反対していたとしても、本人がそう決めているのだから、それを支持できるのは家族だけです。
本人が後悔しない選択をし、そして一丸となって良い結果を掴みとることが理想のゴールですから。

また自分の家族に対しても『感謝してもらわないと協力できない』と言うのでしょうか?
感謝とはしてもらうものではなく、意識せずともするものです。
持つべきものは友、と言いますが、真に信頼でき協力をお願いできるのは友ではなく家族です。
家族は身内であり、他人ではないはずだから。
だから感謝してもらわないと協力できない関係は、つまり他人の関係です。
他人には頼めることに限界があるし、頼めると思わないほうがいい。


父親が買ってきてくれたシュウマイ弁当。しきりに「役に立っていない」と言っていたけれど、
何かできないかと考えてくれるだけでもうれしいものです。


手術まで、まだまだ検査はあります。
これも全ては最高の結果を掴みとるため。
今はただ、応援してくれる仲間と、協力してくれる家族に感謝して、今できる最善の努力を惜しむことなく続けていきたいと思います。


追伸
先ほどワイフから連絡があり、検査は無事終わり、今は体調も問題なく過ごしているとのこと。
明朝迎えに行って、楽しみにしている大好きなちくわ天うどんをたくさん食べて帰ってこようと思います。

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