2017年6月27日火曜日

怒られると叱られるはきっと一緒

「怒ると叱るは違う」なんてことを耳にしたり目にしたりすることがありますが、これは乳幼児には当てはまらないと思っています。
個人の考えですけれども。

自分のために怒る。相手のために叱る。
もちろん怒る側の人間にはその違いはあるのかもしれません。
でも怒られる側は一緒だと思います。
少なくとも未就学児のほとんどの場合。

(そもそも広辞苑の「怒る」の意味には、しっかりと「叱る」と書いてありますしね。)


少なくとも、うちの3歳と5歳にとっては「怒られる」と「叱られる」の差はなく、
怖い言い方をされたかされてないかの違いっぽいです。

考えてみたら自分もそうでしたもん。
これは怒られた、あれは叱られた、なんて区別はしないし、悪いことして怒られても、残念ながら「なぜ怒られたか」よりも「ありゃー怖かったなー」という記憶の残り方だったり。
「あのときのケツバットはマジ痛かったなぁ」であって、「・・・何で怒られたかは覚えてないけど!」なのです。

だから、こっちは子の為を思って怒ってるつもりなんですけど、子にとっては「単にパパが怖くなった」だけだったりして、結果として誰も楽しくないことになっているという。


で、昨日の続きです。

気付いたら絨毯にクレヨンアートです。

見つけたときはえーーーーーーって声が出ました。

誰?これやったの?
誰?誰?おーいっ!クレヨンで書いていいのは紙!紙だよっ!
と怒りたくなる気持ちを抑え、

振り返ったその先にあったもの。
視線に飛び込んできたもの。

それは3歳ムスメの足。


おお、民族。
右と左で色が違うところがアーティスティック。
普通はさ、足の甲くらいとか、モモだけとか、もうちょっと部分的だと思うんですけど、
足の指からモモまでしっかり綺麗にペイントされています。
もうサンバカーニバルだったらまったく違和感ないくらいに。

これに比べたら絨毯のクレヨンの面積の小さいこと小さいこと。
もはや怒る気にもなりません。
これくらいの面積で済んでいるってことは彼女も絨毯にはあまり書かない方がいいってわかっているんだと思いますし、
なにより悪気はまったくないんだろうし。

だいたいね、3歳が塗りたいところをしっかり塗るってこれはすごいですよ。
誰かに塗らされているんじゃない、自分で塗ってるんだってね。

よし。
父ちゃんがんばって絨毯綺麗にするぞ!


・・・無理。なんとなく薄くなったけど。

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